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神戸港開港と共に発展した北野町界隈
神戸港開港と共に発展した北野町界隈

日米修好通商条約をはじめとする安政五カ国条約(1858年)により、
アメリカ・イギリス・ロシア・オランダ・フランスの五カ国と
函館・神奈川・長崎・新潟そして兵庫の五港の開港を取り決め、
日本は外国人の居留地での居住を認めました。
1859年に函館・長崎・神奈川と次々と開港されましたが、神戸港が開港されたのは、
遅れること10年の1868年1月1日(和暦・慶応3年12月7日)でした。
さらに、北野町一帯を含む、居留地を囲む広い地域を雑居地
(日本人と外国人が混ざって住めるエリア)として、
外国人が日本人から家や土地を借りられるようにしました。
こうした点が、後に神戸の異人館を特色付けるポイントとなっています。

海と山が接近した風光明媚なロケーションが当時の外国人にも人気

まず、居留地はイギリス人のJ.W.ハートが設計にあたり、126区画に分けて整備。歩車道分離、街路樹やガス灯、公園やグラウンドを設けるなど、整然とした街並みが完成。地元の日本人に強烈なインパクトで西洋文化を印象付けました。開国後10年を経ていたことで、相互に異文化を受け入れ、吸収しようという機運が高まっていました。グラウンドでテニスや野球に興じる外国人を、多くの日本人が眺め、ルールを学んでいったように、ハイカラな気風や、神戸発祥の日本初のものを生む土壌がこうして育まれていきます。

そして、六甲山系を控え、海に近い神戸は、外国人の人気を集め、経済的に安定した外国人たちは風光明媚で故郷への郷愁を誘う海を望む高台の北野町に、好んで住まいを構えるようになります。現存する異人館の多くが神戸に住んだイギリス人のA.N.ハンセルや日本で設計事務所をもったドイツ人のD.G.ラランデらに代表される外国人建築家によって建てられたもので、これら優秀な外国人が設計に携わった事は、神戸の異人館建設が高い水準を誇っていると言われる要因です。

日本の近代化・国際化の先鞭を物語る本物の文化史跡

当時は300軒を超えていた異人館も、戦火や老朽化により、現存は30数件となり、公開中の建物は20数件です。
神戸・北野異人館が一躍注目されるきっかけは、1977年(昭和52年)からスタートしたNHK朝の連続テレビドラマ「風見鶏」の舞台になったこと。それ以降、多くの観光客が訪れるようになり、お洒落なカフェやレストラン、雑貨のショップも誕生するなど、神戸を代表する観光スポットとなりました。独特の文化と歴史を体感できる数少ないエリアとして、注目されています。また、国にとって価値が高い歴史的街並みであることからも北野町は1980年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

参考文献:「神戸学」(神戸新聞総合出版センター)(2006年)

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